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杉並区がスポーツや文化の交流でお世話になってきた友好都市・南相馬市が、津波で甚大な被害を受け、ました。
(1)連絡が途絶え心配していたところ、14日午前中、田中区長が初めて桜井南相馬市長と連絡がつきました。物資の搬送ルートや集積場所の確認が取れ次第、直ちに300万円(うち150万円は区議会から)の義援金を送り、救援物資を送る約束をしました。
(2)商店会連合会、町会連合会等4団体が呼びかけ、「南相馬市義援金実行委員会」を結成、区と区議会が後援して募金活動の取り組みをはじめました。
16日6時、2トン車4台に毛布、非常食、水、粉ミルク、携帯懐炉などを積んで、受け入れ先の福島市に向かってスタートしました。
南相馬市が福島原発から20キロ~30キロ圏に入るため、住民は屋内待機を命じられ、車両が市内に入ることも規制されています。避難所から外まで救援物資を取りに出向くように言われたことに、桜井市長は激怒し、国に無用な規制を解くよう訴えました。
(3)16日午後1時、荻窪駅北口に、商店会連合会など4団体の呼びかで南相馬市義援金募金活動が行われました。田中区長がマイクを握り募金を訴え、区議会からは議長他6名、私も最後まで参加し、支援を呼びかけました。寒さがきつくなるなかを、並ぶように募金に応じていただき、何度か胸が熱くなる感動を覚えました。
1時間で80万円が集まるほどの手ごたえでした。私の箱だけでも3万円はこえたはずです。
(4)17日、桜井市長から依頼を受けた南相馬市からの住民の避難先に関して、杉並の友好都市であり、区の保養所のある吾妻町に受け入れを打診したところ快く引き受けていただけました。
さっそく吾妻町と杉並区のバスを南相馬市に送り、午後の段階で300名が吾妻町に入り、18日100名が到着しました。
今後南相馬市からの要請あれば、区内の体育館等を使った避難所を開設する準備も検討しています。
区から迎えに行くバスに、可能な限り必要な物資を積み込み、直接南相馬市にとどけることができました。
阪神大震災で杉並区が率先して現地で果たした実績と教訓から、区からは防災課長が現地に出向き指揮をとっています。菅首相をはじめ、国の責任者はなぜ現地に入り、実態に即した対策をとらないのでしょうか。
(5)19日、田中区長が直接南相馬市を訪問し、桜井市長と会談し、直接現地を見て実態を把握して
きたことは何より大切なことでした。
これまでの取り組みと田中区長と話してわかったことは以下の事実です。
第1に、阪神淡路大震災のときとの違いは、30キロ圏に入った現地にはマスコミの記者がいない現実です。
現地が感じているもどかしさは、現実を見ていないテレビなどの報道が、かなりのタイムラグがあることです。
今もくりかえし災害時の映像を流し続けているのはそのためです。
その後の現場での復旧作業、避難所や復興への取り組みが報道されていません。
かつてベトナム戦争の際に戦場の出かけ命がけで真実を報道した記者は今はなく、安全地帯に身をおいて、政府や東電の、まだ大丈夫という「安全神話」を垂れ流ししているだけです。
結果的には放射能への不安をあおることになっています。
連日テレビでしたり顔で語る学者や記者も誰も現地に足を運んでいません。
放射能のデータが今は安心だというならば、自ら率先して示すべきではないでしょうか。
第2に、南相馬市の被災者に対する避難所での緊急対応は、各地の自治体との連携で、必要な方は市内から退避させ一段落し、避難所は縮小しつつあるとのことです。
当面は、杉並が受け入れた400名の被災者に対する東吾妻町と連携した支援の取り組みと、今後の長期的支えを可能とする義援金の集中です。
第3に、被災地以外の地域は平穏を取り戻しつつあるとことです。
30キロ圏といわれてもそこに住み続ける以外ないためです。
問題は、政府から30キロ圏に指定されて以降、物資を運ぶ車が南相馬市に入らないために、食料や燃料など必需品が町全体で欠乏している厳しさです。
福島原発の現場では、放射能の危険に立ち向かいながら必死の活動を進める多くの隊員や労働者がいます。
その一方で、「30キロ圏」におびえて、必要な物資を届けないでいるのは、官民問わず驚くべき怠慢であり身勝手さです。
桜井市長が激怒して政府に強く訴え、医薬品だけは規制を解いてもらい入るようになりました。
杉並からの車も、田中区長の決断と防災課長や職員の勇気ある行動で、直接南相馬市の市役所や避難所に直接届けることができました。
まずは菅首相、枝野官房長官、防衛大臣は真っ先に現地に駆けつけ、実態を把握すべきです。
自民党谷垣総裁に被災地支援担当大臣を依頼するなど言語道断、そのような弱腰ではこの難局に責任をとることはできません。 |