《戦争体験者100人の声》の会主催「戦争体験をいまあなたに伝えたい」のお知らせ
2010/07/31 土曜日 23:52:02 JST


【日時】 8月21日(土)午後6時半

【場所】 阿佐ヶ谷地域区民センター 第4・5集会室

【資料代】 500円(高校生以下は無料です)

【証言者】
 城森満さん 東京大空襲訴訟原告団副団長
 杉山清野さん 従軍看護婦として (元日赤救護看護婦)
 林照さん シベリア抑留 (東京都水道局下水道局退職者会)
 籾倉積さん 広島で被爆 (杉並光友会・原爆被害者の会)

【連絡先】
 戦争は二度と許さない!《戦争体験者100人の声》の会
 杉並区梅里2-40-19宮内ビル101
 090-7848-5225(小笠原)

沖縄戦 収容所にむかう人々


【証言者のご紹介】


城森満さん 77歳 (2010.3.10 東京新聞から)
『両岸から迫る炎に挟まれ、父母と5歳の末の弟が逃げ場を失った。「子どもたちのためにあなたが生き残って」。母の叫びに背中を押された父は…大横川に飛び込んだ。父は浮かび上がらず、母と弟は炎に消えた…』国が始めた戦争なのに、民間人の犠牲が保障されないのはなぜか。人生のけじめをつけたいと東京大空襲訴訟原告団に加わる。

杉山清野さん 88歳 元日赤救護看護婦
「死の恐ろしさに震えながら、時には故郷の母を恋ながら負傷兵の看護に青春のすべてを捧げました…昨日まで苦しんでいた傷兵の亡骸が夕暮れの海に吸い込まれて行った。…始めてみる水葬でした。」(体験談より)

林照さん 85歳
昭和19年9月、門司で現役入隊、ただちに大陸へ渡った。天地が凍結する氷点下50度余のシベリアで飢えと辛い労働に耐える。終戦3年後の昭和23年11月帰国。このときに私の戦争は終了した。(手記「あってはならない戦争」より)

籾倉積さん 69歳
4歳の時広島で被爆。杉並区に在住し、東京被爆者団体協議会の一員であり、1958年設立の杉並光友会(杉並区原爆被害者の会)の現会長。講演会、映画会、杉並平和フォーラム等、人類平和を目的として多くの人に体験を語りかける運動を続けている。

【100人の声の会】

今年は結成から8年目。

2003年自衛隊海外派兵の動きに、戦争体験者が、自らの体験を次代に伝えようと立ちあがる。被害の事実だけではなく加害の事実を学ぶことが、真の平和を築く力だと考え在日朝鮮人、沖縄戦体験者などの証言から真実に迫る。

《初代呼びかけ人の声》

高田普次夫(結成当時83歳 87歳で逝去)
国会議員のみなさん、今からでも遅くない。過ちはすぐ改めなさい。安保条約のもとの有事法制は、売国の法案である。みなさんがやるべきことは、日米安保条約をやめて、日米友好条約に改め、米国の属国から脱して品格のある国家を創ることである。(沖縄出身の元日本兵)

村田直文(当時76歳 77歳で逝去)
50年を経た今も、軍国日本の強制連行・従軍慰安婦・毒ガス製造~投棄等々、人権蹂躙に関して、歴代の政府当局者は何の責任もとろうとしていない。枯れ葉爆弾・核~ウラン弾・クラスター爆弾等々、アジア人民に対して惨害をまきちらしている米政府も同じ。「有事法制」とは、その米と結託して、新たな戦争犯罪を重ねようという意思の表明である。

小笠原荘子(浜田山 現在97歳)
日本敗戦の日を迎えたのは、朝鮮の百済の都・扶余という小さな村落、その日を期に、引き揚者としての生活がはじまった。老いた両親と二人の幼児をかかえ、その秋11月、舞鶴の港に着くまでは、絶望の身をプラットホームや線路に横たえての旅だった。戦地の夫の消息は全く不明。夫の兄2人は終戦の直前に戦死、戦争の悲惨さをイヤという程体験した私にとって、その繰りかえしは断固として許せない。

八木ケ谷妙子(阿佐谷北 現在96歳)
国家関係も傷つけあわないで、平和裏に進めることはできるのです。強いものが一方的に相手を責めるから話し合いできないのです。話のできる相手じゃないと決めつけるから、交流の道が閉ざされるのです。自分だけが強いと思いあがるものが、戦争の元凶です。平和憲法は、敗戦日本の深い祈りであったのです。

《現呼びかけ人のプロフィール》

宮沢一郎(松庵 現在89歳)
1942年9月大学繰上げ卒業で入隊後、病気で帰郷。休養後警視庁防空課に技士として勤務、東京の空襲を目撃。敗戦後水道局に勤め、現在退職者会で後期高齢者医療制度撤廃運動に尽力。

上江田千代(天沼 現在80歳)
沖縄師範学校1年で、ひめゆり学徒として壕の中で重傷兵を看護。壕の移動で壕を出た後、南部をさまよい父は日本兵に射殺された。母と2人奇跡的に生きのび、今は高校生に沖縄戦の体験を語り次ぐ。
 
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